野良!ロゴ

「野良!」は掛け声であり、団体名ではありません。運営しているのはイベント毎に違う有志の面々。農家、主婦、営業、経営者、ライター、デザイナー、カメラマン、料理人、料理研究家、野菜ソムリエ、美容師などなど、実に様々な肩書きの方がこれまで培ってきた得意分野を活かして創り上げています。

「野良実行委員会」「野良推進協議会」などの組織があるとしたら分かりやすいのかもしれませんが、あえて組織化することなく、多くの人が野良!という掛け声のもとに集まり、まだ見えない未来の形に向かってそれぞれができる一歩を共に歩んでいきたいと考えています。


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全く違う2つの「野良」

野に良いと書いて「野良」。「良」は実際はあて字で接続詞のようなものだそうです。「野に」「野で」「野の」・・・など何にでもつけられる便利な言葉。野良仕事、野良着、野良周り・・・野良○○というとなんだか緑がいっぱいのイメージ。

一方で後ろに何もつけず「野良」と言ったときはどんな印象があるでしょう?

なんだか悪ぶれた、社会のはみだしもののようなイメージがないでしょうか。野良犬、野良猫も緑いっぱいというよりは、ちょっと薄汚いイメージです。

そのとき「野良」が意味するのは、きっと「つながれていない」という意味。「野良」が人を指すとしたら、それは「社会システムにつながれていない人」かもしれません。

なぜこんなに同じ言葉なのに意味が乖離してしまったのでしょうか。

それはきっと戦後の経済発展とともに野から心が離れた結果かもしれません。大学に進学、企業に就職して終身雇用。住宅ローンを組んで家を建て、退職してからは年金生活という社会システムが確立されると、そのシステムにそぐわない人間、システムに組み込まれることがなかった人間は競争社会の中で見下され、軽蔑されてきました。

何より便利な社会です。あの大変な農作業をもうする必要はない。土にまみれホコリにまみれた生活をダサイ・汚い・面倒くさいと敬遠し便利で清潔な生活に憧れた人々にとっては、社会システムにつながれていない人はこれまでの自分たちを指す言葉こそ「野良」だったのです。

置いてきた過去。野良はこれまで落ちぶれた「はぐれもの」のようでしたが、今この便利な社会が崩壊しはじめるとシステムに依存することのない自立した生き方として見直される時代になりました。

今、「野良」の意味が少しずつ変わり始めています。


掛け声としての「野良!」

お金で何でも手に入る社会。便利さとは裏腹に大切なものを捨て去っているように感じている人は少なくないはずです。本当は何が大切なのか、何を大切にしなければいけないのか、本当の「豊かさ」とは何か。

2011.3.11。東日本大震災が起き、便利な社会システムの中枢ともいえる原子力発電所が爆発。現在もまだ復旧の目処はたっていません。この大きな出来事は、野を離れ便利さを追求してきたひとつの結果ではないでしょうか。この状況を憂い心を傷めた私たちはこれまでとは違う方向に向かって歩みだそうとしています。

その時「便利さ」の反対にある言葉、それが「野良!」です。この言葉が生まれることによって皆が同じ方向に歩みだし、大きな大きな一歩になることを願って。最後の「!」にはそんな想いが込められています。

まずは「野良」が良い意味になること。そのとき、社会が大きく動き出します。


鎖を外すきっかけづくり

具体的にどんな一歩を歩み出すかは人それぞれ。そのためのきっかけづくりをしているのが野良!という活動でもあります。

実際、これまでつながれていた鎖をちょっと外して「野良」になってみると実に面白いのです。これまで囚われていたイメージ、固定概念が崩壊する瞬間はまさに鎖が外れる瞬間。鎖を外すだけで見えなかった世界が見えるようになり、眠っていた心が動き出すから不思議です。

情報を食べていませんか?(→野良配り

食べ物と自然を別のものと考えていませんか?(→春の天ぷら祭り

音楽をジャンルで聴いていませんか?(→野良音

学歴・年収・外見だけで人を判断していませんか?(→野良コン

所有権って必要ですか?(→野良文庫

例えばこんな問いかけです。イベントを通じて感じることは人それぞれ。答えはそれぞれの心の中にあります。

イベントなどをきっかけに、一人ひとりが楽しみながらそれぞれの一歩を踏み出せば、きっと大きな大きな一歩になるはずです。それによってどんな新しい社会が生まれるのかは誰にも分かりません。大切なのは皆が踏み出すこと。

興味があるイベントもあれば全く興味がないイベントもあるでしょう。なるべくいろんな人達が楽しめるような多彩なチャンネルで企画をしています。


野良!は組織ではありません

実はこれまでの多くの方が今の社会システムが生み出す弊害に心を痛め、本当の豊かさを様々な形で訴えてきました。しかしそれを運営している団体もまた社会システムの中に存在するもの。それぞれが個別に活動をし、時に競争社会のなかで潰し合うことになるのは全く本末転倒なことです。

しかしそれも全ては言葉の問題。全ての活動を包括する言葉さえあれば皆がひとつになって行動できるのではないでしょうか。「野良!」は誰のものでもありません。競争社会の中でシェアを拡大していくことが目的ではないのです。

このコンセプトに共感していただけたら、「野良」という言葉でつながりましょう。つながることで相乗効果が生まれ、これまで自分たちの活動に興味をもたなかった層が気づいてくれるきっかけにもなります。

「野良委員会」「野良推進協議会」というようなものが存在しないのはこのためです。組織にすることで運営する義務が生まれ、門が生まれ敷居が高くなります。「一部の人の活動」で終わってしまうことなく、全ての人で創りあげる活動=動きにしたいから、野良!を運営する社会的、法的な存在はありません。法的な責任はイベント事に流動的に変化していきます。

野良!の活動の主語はそれぞれのイベントを運営するメンバーであり、イベントに参加される方々。野良!が主語になることはありません。これまでの社会システムの中で捉えようとすると難しいですが、「ただの集まり」「掛け声」でも何の問題もないはずです。これもひとつの野良なあり方かもしれません。